教育現場でのPC活用について

1.テーマ選択理由
 私は小学生の時から学校が好きで、その感情は次第に『教育』への興味と変わり、今は教職を目指して様々なことを学んでいます。そこで今回のテーマを一覧してみたところ、「教育分野における〜」という言葉が目に留まり、読んでみたら大変興味深い内容であったので、このテーマについて深く考えてみたいと思い、このテーマを選択しました。
2.教育とは
『教育』とは人が人に教えるという行為であり、この行為が無くては文化の伝達が途絶えてしまい、私達個人の成長・発達や社会の存続、人類の発展さえも失われてしまうのです。この様に『教育』とは人、社会、または私達の未来にとって無くてはならない行為なのです。
 私達、人間は“生理的早産”1)の状態で産まれます。その為、産まれたばかりはただ泣くことしか出来ない無力な生き物ですが、人間は学び育ち発達するという事の出来る、無限の可能性を秘めているのです。
例えば、【狼に育てられた子供】という神話がある。これは狼に育てられて本当に狼の様になってしまった少女が人間に愛情を与えられた事で、再び人間の様な感情を持ったり、直立二足歩行をしたり、言葉を話せるようになったという話です。つまり、この話の主人公(カマラ)は「人間→狼→人間」という過程を経ています。この事から人間は周りの環境にしなやかに適応する可塑性を持っているという事が分かります。
 逆に動物の教育実験した例もあります。アメリカの心理学者ゲゼルは犬を人間と同じように育てる実験をしました。また、動物学者ポルトマンはチンパンジーに言語を教える実験をしました。しかし、これらの実験は共に否定的な結果に終わりました。
よって、人間は生誕後に他の生物に成りうるが、他の生物は人間には成れないのです。この様に考えると人間は教育を受ける事を前提に生まれてくるようにも考えられます。人間は皆、知りたい、分かりたい、出来るようになりたい、という欲求を絶えず持っています。人間にとって教育を受ける事は宿命なのかもしれません。
教育は人間の未知なる可能性を現実にする為の架け橋であり、文化的遺産である。そして、全ての人々が自己実現への願いや希望をいだき、全ての人々が教育を受ける権利を持っているのです。そこで重要になってくるのが教育を受ける環境です。子供への大人の働きかけの方法が子供達に大きな影響を与え、私達の未来を変えることとなるのです。
3.PCでの授業
 最近では入学と同時に授業で使うという理由でPCを強制的に購入させる大学が増えてきた様に感じられます。私はまだPCの授業は計算機リテラシー(PCの使い方を学ぶ授業)しか受けた事がないので実際PCの授業がどの様に良く分からないのですが、私はPCの授業よりも伝統的な黒板式の授業の方が良いと思います。
 まず、機械は電気が無ければ動きません。これはPCだけに言えることでは有りませんが、最近では私達の身の回りには電化商品が溢れています。オール電化の家までも在ります。この様な生活は以前に比べて明らかに便利なものに成りました。しかし、電気が無かったらどうでしょうか。私達は何も出来なく成るのではないでしょうか。一年程前に一日中停電になった日が在りました。季節は調度冬でストーブも付かずに大変な思いをしました。その時は家にあった旧式のストーブを使い、電気の替わりにロウソクを立てて明かりを照らし、家族揃って食事をしました。この時に私は電気が無い私達の無力さを実感しました。PCでの授業は直にサイトに接続出来る為に、様々な資料を使い、多くの情報を速やかに利用出来るという面では大変便利かもしれません。しかし、電気が無かったらどうでしょうか。今の世の中では考え難い事でしょう。しかし、これは実際に有り得る話です。多くの電気は火力発電によって生産されています。火力発電の為には化石燃料が必要です。この化石燃料が無くなったらどうでしょう。私達はたちまち途方に暮れることとなるでしょう。PCは便利ですが、電気が無ければ使えないという大きな欠点があると考えられます。
 また、一人一人が個々に個々のPCを目の前にして授業を受ける、これは教師と生徒の間に壁があるようにも感じられます。PCは直ぐにサイトに繋ぎ様々な資料を見る事も出来ます。確かに便利だし分かりやすいかもしれません。しかし、教育の場の中心である授業は生徒と教師が面と向かいやる事だと思います。単に一人で自己を高める為に学ぶ為ならPCは素晴しい物だと思います。けれども、人が人に教える、教わるという時は心と心を向き合わせなければ真の理解は得られないと私は思います。『人の話を聞くときは顔を見て話しなさい!』といいますが、それはしっかりと相手と向き合い相手の話す内容を聞き入れ、理解しなさい!ということが言いたいのだと考えられます。よって、授業ではPCの画面に向き合うのではなく、教師と生徒がしっかりと向き合うべきでなないかと私は思います。
4.その他
他には、PCの使い方が分からない生徒もいます。その場合、授業の内容に集中したくとも使い方に悩み、遅れをとってしまう恐れがあるのではないでしょうか。また、携帯電話は修学旅行時の連絡手段、長期休暇時の質問する手段として大変便利であると思います。しかし、携帯電話という物は個人の所有するもの、私的な物です。この私的な番号やアドレスを生徒に教えるという事は、教師は勤務時間外でも生徒に私生活を縛られる可能性があります。修学旅行時はレンタルを活用したり、学校用の携帯電話を持つなどしたりして、私生活としっかり区切りを付ける必要があると考えられます。
5.まとめ
 『教育』とは後世に文化的遺産を伝えていく、『教育』は私達の社会発達、未来に大きく影響してくるとても重要な事なのである。そして、」私たちは学ぶ事に適した形態をしていて、皆「学ぶ権利」を持っています。そこで重要な「教育の場」はPCと向き合ってするものではなく、人と人が向き合い行われてこそ意味を持つと私は思います。PCやその他の電化製品はとても便利なものですが、教育の場での活用の仕方を考え直す必要が有ると私は思います。


参考文献
1) http://www.1hassuru.com/mt/archives/000250.html
2) 教育分野における携帯電話活用の現状と実践
  http://www.nicol.ac.jp/~honma/report2002/infosta.html
3) 子供の未来を拓く 教育の創造
編著 天野 正輝 文化書房博文社